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◎中部地方の代表的な埋蔵金

穴山梅雪の埋蔵金(山梨県)
【埋蔵額】=黄金まるどう、たけながし
【埋蔵者】=穴山梅雪
【埋蔵時期】=天分年間
【埋蔵地】=南巨摩郡身延山麓
【背景】=百十九貫という莫大な黄金を算出し武田家を支えた、信玄の「牛の金鉱」黒川金鉱。この財力をバックに信濃、駿河、西上野、遠江と勢力圏を広げた信玄だが、戦略道路として有名な「棒道」を作り、その各所に軍資金を分散して埋蔵したという。
その作業を実際に担当したのが信玄の姉の子で勝頼とはいとこの関係にある梅雪だったのだ。「武田三代 軍記」によれば家康に内通していたと言われるが、勝頼との軋轢が離反を決心させたのかもしれない。それはともかく、梅雪は行く末の配慮からか棒道の軍用金を独自に移し替えたのだ。
信長伐たれるの報に引き返す梅雪だったが土民に襲われ命を落としてしまう。この時の土民のリーダーが 梅雪の「武功緑」に記載されていた埋蔵場所を調べ、一分を発見。しかしその親分も子分に狙われ落命。そして時代は下って明治時代に入って偶然子孫が「千馬の槍」の柄に隠された古文書を発見。「隠し湯の湧きて流る窟穴を、のぼりて指せや……」で始まる秘文をとくと、信玄の湯治場、下部温泉が浮かび、そして埋蔵地は樹海、本栖湖畔、一枚岩の洞穴……。

佐々成政の埋蔵金(富山県)
【埋蔵額】=四十九個の壺、百万両
【埋蔵者】=佐々成政
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=上新川郡大山町
【背景】=秀吉と戦った織田信雄側についた富山の佐々氏。しかし信雄は勝手に秀吉と講和してしまい、困った成政は同じ信雄側についていた家康の説得に当たるため、雪の立山連峰越えを計った。有名な成政の「雪のアルプス越え」だ。
加賀の前田、越後上杉、飛騨金森と秀吉側に囲まれた成政最後の賭ともいえるものだった。つまりは家康の説得に失敗すれば滅亡の運命が待っていた。そこで成政は佐々氏の財宝の埋蔵もかねて出発したのだ。冬のアルプスを甲冑を着けた武者姿でしかも、黄金百万両を積めた四十九個の壺を持参しての行軍は想像を絶するものがある。
事実、富山を発った時の家臣六十数名が信濃にたどり着いた時、わずか六、七名だったという。ただすべてが冬山の犠牲となったのではなく、七カ所に分散して埋めたという宝を守るため残ったのでは。この埋蔵金が世に知れたのは、重臣の子孫というものが一部を発見、また、山岳研究家と名乗る男と鉱夫の物語など多くの事実が現れてきている。さすがに分散して埋めたというだけあり、大山町の鍬崎山ほか針ノ木峠、有峰の里などの説が。

帰雲城の埋蔵金(岐阜県)
【埋蔵額】
【埋蔵者】=内ヶ島兵庫頭氏理
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=大野郡白川村
【背景】=埋蔵金と言うよりは、埋没金。沈没船の場合と一緒で、不慮の災害により、財宝が埋もれてしまった例の代表ともいえるのがこの帰雲城だろう。
楠正成の弟正氏の末裔といわれる内ヶ島家。その内ヶ島家の居城帰雲城が天正十三年、山津波により三百戸あまりの城下とともに一瞬にして埋没してしまったのだ。まさに全滅。天正大地震によるものだった。
もともと内ヶ島氏は長野の松代の出で、足利義政の命で白川郷に移って来たもので、一帯は砂金のたい積による紫金鉱が多く見られ、財政的にも重要な拠点だった。金山が九つ、銀山が二つ有り、名古屋の金鯱や京都の銀閣寺の銀もここから産出したものを使ったと言われるのだ。その財力は秀吉も目を付け、金森氏に越後出兵中の留守を狙わせたほど。このときは秀吉の遠謀のためか城に戻ることができたが、それも金銀の産出を条件に であった。
その黄金と帰雲城が埋まっていると見られるのが、帰雲山の東側斜面で、現在も崩れた山肌が見られる。

前野小平治の埋蔵金(愛知県)
【埋蔵額】=大判、小判
【埋蔵者】=前野小平治
【埋蔵時期】=天保年間
【埋蔵地】=知多郡南知多町
【背景】=備州内海の回船問屋、前野小平治は知多半島南端で商才と地の利を生かし、五代目小平治の頃には有数の回船問屋として成功していたが、その小平治に数十万両の借金を抱える尾張藩にとっては目の上のなんとか、の存在となっていた。
ときあたかも天保四年の大飢饉で関東、東北を中心とした凶作に見回れ、江戸の台所は火の車に。奉行はついに米商人や回船問屋に協力を求めたが、江戸の商人達にとっても無い袖はふれず状態。そこに登場したのが小平治というわけ。江戸の難儀を救った小平治は一躍脚光を浴びた。しかしこれが命取りとなったのだ。
尾張藩には貸ししぶりをするくせに、江戸には気前良く。いっそのこと潰して借金を帳消しに、という策謀につながってしまった。ただ小平治も切れ者みすみす取りつぶされてたまるかで、めぼしい財宝のすべてを埋蔵して対抗したのだ。こうして小平治の埋蔵金伝説が生まれた。
後に末裔が傾いた同家を立て直すためと、発掘を試みたがついに発見できなかった。埋蔵地は没収される恐れのある屋敷内ではなく、裏の高宮神社境内か。
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☆新潟県の埋蔵金

旭町の埋蔵金
【埋蔵額】=元禄小判ほか小判十三枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=新潟市旭町
【背景】=昭和三十九年、新潟地検の検事正公舎の塀を修理中のため松を掘り起こしたところ元禄小判一枚を含む小判十三枚を発見。

夕日長者の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】=夕日長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=新潟市五十嵐三の町
【背景】=三の町にある銭山という塚を掘った農夫が、かつて当地に居を構えたという海賊の夕日長者が埋めたと見られる古銭を発見。

八石城の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=毛利大万之助淨広
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=柏崎市善根
【背景】=八石山にあった毛利大万之助淨広の居城が攻められ落城した時に財宝を埋めたという言い伝え。

沢辺下の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭四百十五枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=新津市南町
【背景】昭和十六年、南町沢辺下の国鉄新津車両工場の敷地から古銭が 発見された。中国銭四百十五枚。ほかにもあったが一部は持ち去られた。

沢辺下の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭二万八千五百八十枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=新津市南町
【背景】=同じ沢辺下の下屋敷というところでは明治三十四年に萬年通宝や富寿神宝など皇朝銭を含む古銭二万八千五百八十枚が発見されている。

中山の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=新津市大字田家字中山
【背景】=銭瓶沢と呼ばれる地に銭を積めた壺があるとの言い伝えがあり、律儀男に埋蔵場所のお告げがあったが、それを欲張り男が聞き込み掘りに行ったところ壺の中は蜂で、怒った欲張り男が律儀男の家に投げ込むと中身は銭に変わっていたという。昔話調の埋蔵金の言い伝え。

小栗上野介の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=小栗上野介
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=小千谷市吉谷
【背景】=関東各地に残る小栗伝説だがここ小千谷市にも埋蔵金伝説が。実は赤城は発見される可能性が高いと見た上野介は越後に移したという。「越える峰後ふりければ吉か凶、谷なき渡る四羽の子鳥」の謎から「越後吉谷四子」つまり小千谷在吉谷の四ツ子となるという。

水掘長者の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=水掘長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=十日町市水掘
【背景】=水掘まんじゅうと呼ばれた長者の家には「宮栗平の一六三の 木の下に、金銀の鍬と鎌、朱が千貫、銭が千貫埋めてある」の言い伝えが あり、トウの木の元を掘ったが何もでなかったという。

船越の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=五泉市大字船越字北住吉
【背景】=明治二十一年、苗代作業中に中国の古銭が詰まった壺三つを掘り当てた。

山賊岩井沢小弥太の埋蔵金
【埋蔵額】=金延べ棒
【埋蔵者】=岩井沢小弥太
【埋蔵時期】=戦国時代
【埋蔵地】=岩船郡朝日村
【背景】=上杉謙信の時代、まだ隠し金山だった高根金山に根城を持つ盗賊岩井沢小弥太が討伐にあった際、逃走途中の円吾山に金の延べ棒を埋蔵したという。小弥太は実在の人物といわれ目印は白い岩ツツジ。

江端の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭数百枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=北蒲原郡水原町江端
【背景】=昭和五十八年、新築工事中の現場から重さ十キロ、数百枚の古銭が出土、箱館通宝や仙台通宝などの古銭も混じっていたという。

四つ橋長者の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=北蒲原郡水原町外城町
【背景】=昔四つ橋長者の屋敷があったという畑からかます一俵の古銭が発見された。

雷城の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=中蒲原郡村松町大字水戸野
【背景】=雷城の落城の時、千両箱や黄金の風見鶏を埋めたという。目印は白南天の木。

小木城の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=三島郡出雲町大字相田
【背景】=小木城が落城の際に蘇枋(すおう)の木の根本に財宝を埋めたという言い伝え。この木は海から見えるが、森に入ると見つからない。

糠塚の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭一万四千枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=南魚沼郡塩沢町糠塚
【背景】=糠塚古墳のそばから、中国の銅銭六十種、朝鮮、安南の銅銭一種、一万四千枚が発見された。

仙石の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=南魚沼郡塩沢町仙石
【背景】=仙石の百姓が雪の日にお地蔵様に被りものを供えた。御利益で六十貫の銭を得たが、八幡宮の榎の下八カ所に分けて埋めたという。

室島の埋蔵金
【埋蔵額】=小判三十七枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=中魚沼郡川西町室島
【背景】=昭和三十二年、畑の中から享保小判三十七枚と一分金二枚が発見された。

味方但馬の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=味方蔵
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=佐渡郡佐和田町大字市野沢
【背景】=佐渡相川鉱山の山主の一人、味方但馬の墓に黄金伝説が残る。

川端の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭三十貫
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=佐渡郡真野町大字四日町字川端
【背景】=大正十五年、畑から祝部式大瓶が出土し、中から古銭三十貫が出ている。

加茂の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭一万枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=加茂市
【背景】=昭和五十一年、浄化槽の工事をしていた作業員が古銭の入った壺を発見。開元通宝、太平通宝、元祐通宝など一万枚が入っていた。二十年ほど前にも同じような古銭が発見されていたという。
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☆富山県の埋蔵金

三千坊の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金の鶴千羽
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=氷見市仏生寺字脇之谷内
【背景】=高岡市との境にそびえる三千坊山の中腹にある真言宗が、同じ山中の御田神社を襲ったとき、神社が社宝、黄金の千羽鶴を埋めたもの。

船見の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭三千五百枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=下新川郡入善町舟見字小柴
【背景】=昭和四十七年、農地整備中に中国古銭三千五百枚の入った壺を発見している。

宮崎の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭四十キロ
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=下新川郡朝日町宮崎明石
【背景】=大正十二年、北陸線越中宮崎駅そばの畑から朝鮮通宝四枚を含む開元通宝、宣徳通宝四十キロを発見。

三枚橋の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭千百枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=下新川郡朝日町三枚橋字天戸
【背景】=昭和二十六年、耕地作業中古銭の入った壺を発見。中から開元通宝、永楽通宝など千百枚の古銭が出てきた。

川崎屋の埋蔵金
【埋蔵額】=慶長小判七百枚
【埋蔵者】=川崎屋伊左衛門
【埋蔵時期】=宝暦年間
【埋蔵地】=東礪波郡福野町
【背景】=明治三十四年、慶長小判七百枚が詰まった壺が発見されたが、これは伊左衛門が宝暦年間に埋めたものという言い伝えが残っていた。

“歴史国道”の埋蔵金<
【埋蔵額】=小判十二枚、硬貨合計千二百九十五枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=小矢部市
【背景】=平成一四年三月、小矢部市の工事現場で、直径約三〇センチの瓶が出土。中から小判を始め硬貨合計千二百九十五枚が発見された。現場は国土交通省が進める旧道保全のプロジェクト“歴史国道”整備事業地で、かつての街道筋の富裕層が埋蔵したものと推測される。
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☆石川の埋蔵金

富樫政親の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=富樫政親
【埋蔵時期】=長享年間
【埋蔵地】=金沢市高尾
【背景】=長享二年、加賀の高尾城守、富樫政親は一向宗徒を中心とした一向一揆に襲われ落城。その時に政親が財宝を城内奥深くに埋めた。

八つ塚の埋蔵金
【埋蔵額】=九億八千万貫
【埋蔵者】=藤原師基
【埋蔵時期】=建武年間
【埋蔵地】=金沢市御所
【背景】=加賀の国司藤原師基が館を構えた御所には、師基が任地を離れる時に八つ塚に財宝を牛車に積んで埋めたという言い伝えが残る。

温井紹春の埋蔵金
【埋蔵額】=軍資金
【埋蔵者】=温井紹春
【埋蔵時期】=天文年間
【埋蔵地】=輪島市別所谷町天堂山
【背景】=備中の守、温井紹春は、穴水城主長続連の茶会の席で毒殺されたが、急を知った家臣達が財宝を天堂城の一角に埋めたという。

八伏山の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=輪島市大野町
【背景】=大野町八伏山には七堂伽藍の威容を誇っていた真言寺があったが、謙信に攻められ、この時財宝を埋蔵したという。毎年元旦に黄金の鶏が鳴くという。

春日野の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=珠洲市室立町春日野
【背景】=春日野の法住寺と白山神社近くに財宝を埋めたという銭ヶ塚があり、元旦に「漆千杯、塩千杯、黄金の鶏が七番」と鶏が鳴くという。

上山の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=珠洲市若山町
【背景】=若山町上山の別惣家が主君落城の時、財宝を七頭の馬に運ばせ高つぼり山に埋めた。「朝日ちらちら夕日ちらちら」の場所。

熊坂長範の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=熊坂長範
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=加賀市熊坂町
【背景】=大盗賊長坂長範の埋蔵金伝説。熊坂領内の橋の架け替え工事中「朝日さし夕日輝く木のもとに、漆千片朱千片、こがね折敷七折敷、子孫の為に埋置」と刻まれた石碑を発見。「七谷越へて七山目、二葉柳の下」
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☆福井県の埋蔵金

朝倉義景の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=朝倉義景
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=福井市一乗谷
【背景】=信長の野望に屈することなく、信を貫き通して結局は天正元年に始まった三年に渡る戦で滅びてしまった朝倉だが、最後を覚悟した義景が財宝を城の近くの「あんぐり岩」と呼ばれる地と一乗谷に埋蔵したという。

麻生の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=敦賀市奥麻生
【背景】=応仁の乱をさけ京からこの地に逃げてきた老夫婦と娘が追手に討たれてしまったが、後に屋敷近くの土手に金銀を入れた朱塗りの壷の埋蔵伝説が伝わった。又六という者が掘り出したという説も。

深山寺の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=敦賀市深山寺
【背景】=経ヶ鼻という地に真内長者が残したという埋蔵金伝説がある。「朝日さし夕日輝く経ヶ鼻の筋向かい、漆千駄、朱千駄、黄金の鎖が千たぐり、細縄八束、銭いっぱい、白いやどめの下にある」。

西福寺の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=敦賀市三島町
【背景】=応安年間、西福寺開基の良如上人が地中から和同開珎百三十三枚、銀の錫、銅の鉢を掘り出し、舎利殿に納めさせたという。

杣山城の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=武生市南条町阿久和
【背景】=杣山城に残る埋蔵金伝説。「朝日さす夕日さす白いやどめの下に黄金の壷がある」。

大安禅寺の埋蔵銭
【埋蔵額】=永楽通宝、元豊通宝、皇宋通宝など銅銭五十種、十一万五千枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=明應九年(1500年)七月
【埋蔵地】=福井市田ノ谷町
【背景】=平成十八年四月十二日、臨済宗妙心寺派の大安禅寺で猪よけの柵を修理していた檀家達が偶然顔を覗かせていた備前焼の大甕を発見。中から中国渡来の銅銭が大量に出てきた。一緒に発見された“木簡”から埋蔵年が判明するという埋蔵時期が確定できた貴重なケースとなった。
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☆長野県の埋蔵金

木曽義仲の埋蔵金
【埋蔵額】=軍資金
【埋蔵者】=木曽義仲
【埋蔵時期】=寿永年間
【埋蔵地】=木曽郡楢川村
【背景】=頼朝同様、源氏正統の血をひきながらわずか十日の天下という悲運の将軍、木曽義仲。上洛さえしなければ、全国諏訪神社からの寄進や木曽谷の自然をに囲まれた幸せな道が選べたはず。それはともかく義仲が討たれたことにより、木曽に残された大量の軍資金が埋蔵されたという。
その場所は朝日ヶ嶺麓の隠れ城。

竹山砦の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=長野市松代町
【背景】=千曲川沿いの象山にあった竹山砦にいた長者の埋蔵金伝説。「朝日さす夕日かがやくその下に黄金千両朱千杯」。

五本杉の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=弘法大師
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=諏訪市諏訪大社上社
【背景】=「吾れこの山に金は瑠璃の鉢に千杯、朱は金の瓶に千杯、漆は水晶の壷に千杯を埋める。もしこの伽藍が大破するときはみずからきて再建するであろう」との弘法大師の言葉が残る諏訪大社。

郷土の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=小諸市郷土
【背景】=かつて江堂と呼ばれた地に金掘塚があった。「江堂江堂三江堂中の郷土に金がある」との言い伝えが残っている。

乗瀬の埋蔵金
【埋蔵額】=小判六枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=小諸市乗瀬
【背景】=昭和三十三年、農夫が畑の端にあった桃の木の根元を掘ると慶長小判六枚が出てきたという。

柏木家の埋蔵金
【埋蔵額】=小判十五枚ほか
【埋蔵者】=柏木家
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=小諸市一ツ谷区
【背景】=昭和四十九年、柏木家で改築の際、床下から文政小判十五枚、一分金十枚、文政豆板銀十五枚、寛永通宝一枚の入った茶碗を発見。

中挟の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭八貫
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=塩尻市片丘中挟
【背景】=大正七年、桑畑で仕事をしていた農夫が古銭八貫が詰まった 瓶を発見。宋銭が主で二十六種。

吉田若宮の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭七万四千七百六十一枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=塩尻市広丘吉田若宮
【背景】=昭和五十六年、宅地造成中の土地から古銭七万四千七百六十一枚が出土した。

諏訪神社の埋蔵金
【埋蔵額】=蛭藻金十一枚ほか
【埋蔵者】=大祝金刺昌春
【埋蔵時期】=永正年間
【埋蔵地】=諏訪郡下諏訪町久保
【背景】=昭和十年、諏訪神社秋宮近くの教塚植樹の時に偶然に蛭藻金十一枚、金粒三十一個を発見。上社頼満に攻められた下社、大祝金刺昌春が復興に備えて埋蔵したものとみられる。

浅間矢場の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭
【埋蔵者】=石田刑部
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=高遠町東高遠
【背景】=かつて矢場があった月蔵山。享保年間に農夫が古銭を発見。また安政六年には五十八種、八万六千五百五十八枚の古銭が出土した。

村上義清の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=村上義清
【埋蔵時期】=天文年間
【埋蔵地】=埴科郡戸倉町大字磯部
【背景】=北信濃で五百年の歴史を誇った豪族村上氏は、信玄に滅ぼされたが、その居城だった葛尾城に埋蔵金伝説が残っている。落城に瀕した義清が城内の地下室に財宝を隠したという。

熊坂長範の埋蔵金
【埋蔵額】=小判六枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=上水内郡信濃町
【背景】=石川県加賀市に残る大盗賊熊坂四郎長範の埋蔵金伝説が、ここ信濃町の長範山にも伝わっている。その名の通り長範山には、長範の玉石というのがあり、奪った財宝をこの岩の下に隠していたという。
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☆岐阜県の埋蔵金

黒岩の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭五万枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=加茂郡坂祝町
【背景】=坂祝町黒岩で耕地整備中に大瓶を発見。中から永楽通宝、宣徳通宝、大観通宝など二十種、五万枚の古銭が出たきた。

堂洞城の埋蔵金
【埋蔵額】=金座からの新鋳小判
【埋蔵者】=岸勘解由
【埋蔵時期】=永禄年間
【埋蔵地】=美濃加茂市下蜂屋
【背景】=斉藤龍興に仕えた美濃の蜂屋庄の住人、岸勘解由は、永禄八年信長の美濃侵攻に抗して破れ、落城の際に財宝を埋めたという。「朝日さす夕日かげらふ堂洞城に、こがねざっくりかくし置く」。

間関峠の埋蔵金
【埋蔵額】=五千両
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=永禄年間
【埋蔵地】=美濃加茂市伊深町
【背景】=堂洞城同様、信長に攻め落とされた鵜沼城から脱出した残党が伊深に逃れ、間関峠に軍用金を埋めたというもの。

小那比の埋蔵金
【埋蔵額】=百万両
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=郡上郡八幡町
【背景】=八幡町小那比の長者が黄金を埋めたという言伝え。「朝日照る夕日さすこの木の元に、黄金埋めおく百万両」。

神戸町の渡来銭
【埋蔵額】=古銭一万三千枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=安八郡神戸町
【背景】=昭和五十二年、揖斐川近くの砂利採取場で唐銭「開元通宝」や宋銭「太平通宝」などが詰まった壷を発見。その数およそ一万三千枚。
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☆山梨県の埋蔵金

武田信玄の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金延べ棒
【埋蔵者】=武田信玄
【埋蔵時期】=天分年間
【埋蔵地】=塩山市鶏冠山
【背景】=天分年間に実に百十九貫三百七十匁の黄金を産出した記録が残る「信玄牛の金鉱」黒川金鉱。秀吉同様、急に採鉱を止め、坑道の一つに軍資金を埋蔵したというもの。黒川谷付近。

武田信玄の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=穴山梅雪
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=大月郡笹子
【背景】=甲州から上野に出る戦略道路の要衝、笹子峠。その笹子峠の地蔵小坂に武田家の軍資金の一分が埋められているというもの。

武田勝頼の埋蔵金
【埋蔵額】=三十万両
【埋蔵者】=武田勝頼
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=韮崎市大草町
【背景】=悲運の将、勝頼が新府城を立ち退くときに、城内に埋蔵したといわれるもの。家臣の長坂釵閑が実行者で、後に秀吉の命で甲府領主となった浅井長政が城内の捜索を行ったが発見できなかった。

武田勝頼の埋蔵金
【埋蔵額】=軍資金
【埋蔵者】=武田勝頼
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西八代郡本栖湖
【背景】=武田家滅亡に瀕した勝頼が、部下に命じて武田家財宝を本栖湖に沈めたというもの。信玄の財宝伝説でも本栖湖はキーワードに。

舂米の埋蔵金
【埋蔵額】=金塊二万本、慶長小判ほか
【埋蔵者】=小栗上野介、大久保石見守とも
【埋蔵時期】=幕末、徳川初期とも
【埋蔵地】=巨摩郡増穂町
【背景】=各地に残る小栗埋蔵金伝説の一つ。知行所でも無いこの地に伝えられたのは妾宅が有り、庶子忠広が居たからという。忠広の子、秀守が厳しい追及を逃れ、二十六歳になったとき、家臣多田徳次郎から埋蔵金の秘密を明かされる。それによれば、幕府御用金は上州のほかに富士川をさかのぼり釜無川と笛吹川が合流する鰍沢で陸揚げされ舂米に埋蔵されたという。出土物から徳川初期のものという説も強い。

勝沼氏邸跡近郊から黄金出土
【埋蔵額】=蛭藻金二枚、小粒金十八個ほか
【埋蔵者】=勝沼氏
【埋蔵時期】=永禄年間
【埋蔵地】=東山梨郡勝沼町上岩崎
【背景】=勝沼の観光ブドウ園の地中から偶然黄金が。一体の発掘から蛭藻金二枚、小粒金十八個、永楽通宝、開元通宝、宜徳通宝、洪武通宝、嘉定通宝などの渡来銭約五千枚が出土した。現場は勝沼氏の館があったといわれる場所の近く。また、近くを流れる日川の崖からも小粒金二十個が出土したという情報も。

平八郎長者の埋宝
【埋蔵額】=砂金多量
【埋蔵者】=平八郎
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=富士川源流、鶏冠山麓
【背景】=武田の埋蔵金とも関連する鶏冠山。国師岳の麓に住む平八郎という猟師が鶏冠山で“黄色い砂”を発見、妻に教えられるまで砂金と知らなかったという。この砂金を集めて洞窟に隠した
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☆静岡県の埋蔵金

香貫の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=沼津市上香貫、下香貫
【背景】=かつて香貫一帯には九十九塚の古墳群があり、埋蔵金の伝承も残されている。「朝日さす夕日かがやく柿木の下に黄金千盃二千盃」。

釈迦堂の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=沼津市西野字霞釈迦堂
【背景】=愛鷹山の中腹にある釈迦堂に残る長者の黄金伝説。「朝日さす夕日かがやくこの所、黄金千盃朱千盃」。こちらも古墳群が存在した。

今宮の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=富士市今宮
【背景】=昭和四十七年、雑木林の中から徳川幕府が通用を禁止した永楽銭など二十六種、四百三十枚あまりが発見された。

縄地の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=賀茂郡河津町縄地
【背景】=大久保長安の時代に最盛期を迎えた縄地金山、その金山に残る財宝の伝説。「朝日さし夕日輝くゆずり葉の下に黄金千杯、数千杯」。

武田信玄の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=武田信玄
【埋蔵時期】=元亀年間
【埋蔵地】=引佐郡細江町
【背景】=元亀三年、三万二千の大軍を率いた信玄が三方ヶ原の戦い後 当地で陣を張ったが、その時に軍用金の一部を密かに埋めさせたという。

細田杢右衛門の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=細田杢右衛門
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=引佐郡細江町油田
【背景】=細江町に残るもう一つの言い伝えは家康に関するもの。今川勢に捕らわれそうになった家康を一人の老婆が大かごに隠して救い、そのお礼にと、老婆と息子の杢右衛門に土地と金を授けたという。これが埋蔵金の元に。「朝日さし夕日かがやく虎の尾に黄金千ばい二千ばい」。
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☆愛知県の埋蔵金

小金下の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西加茂郡三好町
【背景】=三好町大字莇生字小金下に金の茶釜の埋めらているという埋蔵金伝説が「朝日さす夕日……」の歌とともに残っている。

小笠原監物の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=小笠原監物
【埋蔵時期】=徳川時代初期
【埋蔵地】=西春日井郡清洲町
【背景】=関ヶ原の戦い後清洲城の城主となった松平忠吉の重臣、小笠原監物が忠吉の死後、お家が断絶に際し主家復興を願って埋蔵。享保年間に村人が慶長大判など六十枚を掘り当てたとの古文書あり。

木曽川の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭七千五百枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=津島市
【背景】=昭和五十六年、木曽川でシジミ取りをしていた漁師が川底から壷を引き揚げた。中から永楽通宝など三十五種、七千五百枚の古銭が出てきたのだが、県境の川だったことから愛知県と岐阜県で管轄を巡って紛糾問題となった。「埋蔵物」か「沈没品」にあたるかも争点の一つに。

松平分家の墓所から小判
【埋蔵額】=慶長他小判四十三枚、享保、正徳他一分金百十七枚、太刀、美術品など
【埋蔵者】=深溝松平家
【埋蔵時期】=徳川時代初期
【埋蔵地】=額田郡幸田町深溝
【背景】=平成二十一年五月十四日、幸田町深溝の本光寺で発掘調査をしていた本光寺深溝松平家東御廟所調査会が、深溝松平家第七代当主、松平忠雄の墓から小判四十三枚、一分金百十七枚など、多数の副葬品を発掘したと発表した。
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