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◎中国・四国地方の代表的な埋蔵金

鳴門茂衛門の埋蔵金(香川県)
【埋蔵額】=海賊の財宝
【埋蔵者】=鳴門茂衛門
【埋蔵時期】=江戸時代初期
【埋蔵地】=小豆郡小豆島水神社
【背景】=中世の一大商圏として瀬戸内海地方は数々の歴史を重ねてきているが、それに伴って数々の埋蔵金伝説の舞台ともなっている。
頃は徳川三代将軍家光の頃、鳴門茂衛門という大海賊が瀬戸内海で権勢を欲しいままにしたことが記録されている。海賊家業で稼いだ財宝を元に、表の商売へと転身を考えていた茂衛門は、財宝の大半を小豆島の水神の社付近の二つの洞窟に隠したという。そして子分を処分しようしたが、逆に自身も殺されてしまい残った二人の子分によって埋蔵金の言い伝えが残された。
もちろん二人は埋蔵金を探したのだが見つからず、そして時代は明治に下ってその子分たちが書き残した古記録から発掘を試みた男が、その一つと思われる洞穴を発見。しかし、そこには白骨とわずかに小判十二枚が残っていただけだったという。

村上水軍の埋蔵金(香川県)
【埋蔵額】=海賊の財宝
【埋蔵者】=村上氏
【埋蔵時期】=天正年間
【埋蔵地】=小豆郡小豆島皇踏山麓
【背景】=同じ瀬戸内海の海賊でもこちらは時代は遡って豊臣秀吉の四国攻めに際し、本拠地の能島城を滅ぼされた大海賊村上氏の埋蔵金だ。
別名「村上水軍」と呼ばれるほど瀬戸内海に影響力を持った一大勢力で海賊と言うより一つの国といえる規模だったことが伺える。この村上氏が財宝を埋めたというのが小豆島の皇踏山麓ということになっている。
倭寇と呼ばれる海賊全盛時、朝鮮や中国沿岸にまで遠征して略奪してきた財宝だから、額としてはダントツだろう。だだ、小豆島伝説には疑問視をするものが多い。それは東の小早川軍に襲われながら、自身は屋代島に逃げた村上氏が、何故東に二百キロ離れた小豆島に大切な財宝を隠したかということ。瀬戸内海には無人の島も多く、隠すには事欠かないはず。

藤原純友の埋蔵金(香川県)
【埋蔵額】=財宝の詰まった大壺九十九個
【埋蔵者】=藤原純友
【埋蔵時期】=天慶年間
【埋蔵地1】=香川郡女木島
【埋蔵地2】=香川郡櫃石島
【背景】=瀬戸内海の埋蔵金伝説では最古の部類に入るのが、伊予の豪族出身の藤原純友の埋蔵金だ。
承平年間、任官していた伊予掾の立場から海賊の追補中に海賊側に寝返ったという経歴を持ち、以降日振島を本拠に九州、瀬戸内海そして内陸地方までを荒らし回った純友。平将門の挙兵に時をあわせて手下五千とともに反乱の軍を起こした。いわゆる純友の乱で一時は京都に迫る勢いを見せたが天慶年間に造反により政府軍にとらわれ処刑された。その純友が稼いだ黄金を九十九個の大壺に入れて瀬戸内海のある島に隠したという言い伝えだ。
いくつかある説のうち一つが高松沖合四キロのところに浮かぶ女木島だ。昭和に出た古文書から、鬼々島がターゲットとなり、桃太郎伝説も持つ女木島が一躍脚光を浴びたというのだ。
もう一つの説は備讃諸島の櫃石島で、近くの松島には純友神社があり、釜石島には純友の築いた城跡もある。九十九個の大壺はいずこに。

竜王丸の埋蔵金(愛媛県)
【埋蔵額】=小判五千両、金地金四万五千両
【埋蔵者】=竜王丸
【埋蔵時期】=文化年間
【埋蔵地】=芸予諸島伯方島から因島
【背景】=明治十二年、境の旧家から出た古文書に、西国諸藩のご用船竜王丸が黄金を積んだまま文化年間に沈没と記されている。他の古記録にも同様の記載が残っているので沈没は確かで、その場所は芸予諸島の伯方島から因島の間といわれる。
そして明治十八年には付近で小判八枚と黄金の延べ棒二本が海底から拾い上げている。さらには明治二十六年、佐木島で小判三枚と延棒四本を発見、明治四十二年には因島近くの海底で小判十八枚と、相次ぐ発見にいよいよ竜王丸の宝が、と期待されたが小判の鑑定などで荷主の藩印がなかったりして無関係と結論つけられた。
ただこれは、もう一つの埋蔵金伝説、海賊、小多八一味が関係する(これについては近畿の埋蔵金の項を参照)いずれにしても竜王丸の沈没自体は確かである。今も黄金は海底に眠っているのだろうか。
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☆鳥取県の埋蔵金

西伯の埋蔵金
【埋蔵額】=元文小判四枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西伯郡西伯町
【背景】=昭和五十五年、当地の旧家の庭先で元文小判四枚を発見。旧家でダム工事による移転のため庭をいじっていて偶然発見したもの。

名和の埋蔵金
【埋蔵額】=金の茶釜
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西伯郡名和町
【背景】=同じ西伯郡で名和町の大字御来屋に埋蔵金伝説が残っている。当地の長者跡継ぎが無く金の茶釜を山に埋めたという。
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☆岡山県の埋蔵金

金敷寺の埋蔵金
【埋蔵額】=金の鶏
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=井原市笹賀町
【背景】=かつて七堂伽藍を持つほどに威容を誇った南斗山金敷寺。この金敷寺と裏山にある竪穴式古墳に埋蔵金伝説が残っている。金敷寺の寺宝、金の鶏が埋まっているというもの。

将監の埋蔵金
【埋蔵額】=千両箱七つ
【埋蔵者】=将監長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=阿哲郡哲西町
【背景】=哲西町矢田に住んでいた将監という長者の残した埋蔵金伝説。矢田の大奥谷の金岩というところに七つの千両箱を埋めさせたという。埋蔵をさせた七人の首をはね、その場所を七人御崎というとか。

金近の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金の七つの甕
【埋蔵者】=金近長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=阿哲郡哲西町
【背景】=同じ哲西町の上神代には金近という長者の同様な言い伝えが残っている。七つの甕を七人に担がせて埋蔵、七人は殺してしまった。その七人の霊を祀る七人御崎と、同一内容のものとなっている。

弘田の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金の鶏
【埋蔵者】=弘田長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=阿哲郡阿哲町
【背景】=阿哲の言い伝えの一つ。こちらは阿哲町の川南後高下のもの。弘田という長者が財宝を隠すために七人を使って埋蔵後殺してしまった。その場所を七人御崎という。ここでは夜更けに金の鶏が出るとも。

石井家の埋蔵金
【埋蔵額】=一分銀四十二枚
【埋蔵者】=石井家
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=笠岡市吉田
【背景】=平成二年、室町時代から続く旧家の壁から古銭が現れた。一分銀四十二枚が埋められていた。先祖が万一を考えて塗り込めたもの。
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☆島根県の埋蔵金

村松内膳の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=村松内膳
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=松江市西尾町
【背景】=一介の浪人から身を起こし松江松平家の家老となった村松内膳直賢が西尾町に別荘を新築したとき、松の根本に埋蔵したという。

青杉城の埋蔵金
【埋蔵額】=軍用金
【埋蔵者】=佐波顕清
【埋蔵時期】=正平年間
【埋蔵地】=邑智郡邑智町
【背景】=高師泰が岩見平定に乗り出した南北朝時代、青杉城を守る顕清の重臣たちがお家再興を目的に軍用金を現在の大字滝原に埋蔵。白南天、あるいは芍薬のある場所という。

山中鹿介の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=山中鹿介
【埋蔵時期】=永禄年間
【埋蔵地】=能義郡広瀬町
【背景】=中国地方の一大勢力毛利氏と対立した尼子氏。その尼子氏の家臣、山中鹿介が尼子再興に立ち上がったが無念にも敗走。その時に大根山山中に軍資金を埋蔵したというもの。目印は白南天。
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☆広島県の埋蔵金

志和の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭九十キロ
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=東広島市志和町
【背景】=昭和五十九年、山陽自動車の建築現場から大瓶に入った古銭約九十キロが掘り出された。開元通宝や元豊通宝、政和通宝、公武通宝、永楽通宝など、十二種、数万枚が埋蔵されていた。

岩谷山の埋蔵金
【埋蔵額】=金の観音、壺、椀
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=広島市東区
【背景】=かつて伊勢の漁師が石仏を引き上げ、これに導かれて岩谷山に岩谷寺を建立、金無垢の観音を祀ったという。そして岩谷山が地震で崩れすべて埋まってしまったという。金の鶏が埋蔵地を教えるという。

銀山城の埋蔵金
【埋蔵額】=金の茶釜
【埋蔵者】=武田信実
【埋蔵時期】=天文年間
【埋蔵地】=広島市安佐南区祇園町
【背景】=毛利勢に攻められた銀山城の武田信実が落城に際して金の茶釜を埋めたという。目印は白南天。

八ツ尾城の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金の鶏
【埋蔵者】=山名和泉の守守清
【埋蔵時期】=室町時代末期
【埋蔵地】=府中市出口町
【背景】=八ツ尾城の城主守清は落城の時黄金の鶏一対と財宝を埋めた。明治時代になってこの伝説を元に掘ると確かに財宝が出たが、掘った人に災いが降りかかり、元に埋め戻すことでやっと助かったという。

平景清の埋蔵金
【埋蔵額】=軍用金
【埋蔵者】=平景清
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=豊田郡安芸津町
【背景】=壇ノ浦の合戦で敗れた平景清が落ち延びてきてこもったといわれるのが安芸津町太田の宇井坂山城跡。ここに景清が立ち去る時に埋めたという軍用金の伝説がある。目印は白い椿。

湯木岩根の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金の鳥一番
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=比婆郡口和町
【背景】=京都の本願寺の古文書の中から「備前の国恵蘇郡湯木村の如来堂の柿木の下に石櫃があって、黄金の鳥を一番、朱に染めて埋めてある」とかかれているのを発見。口和町大字湯木岩根のことという。

仁平の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭二十三キロ
【埋蔵者】=仁平
【埋蔵時期】=江戸時代初期
【埋蔵地】=福山市山野町
【背景】=当地の農機具販売業者が路肩が崩れて顔を出していた古銭を発見。その量は約二十三キロ。寛永通宝ほか十数種、およそ一万枚。節約家の農夫がこつこつとためた金の言い伝えがあったところとか。
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☆山口の埋蔵金

大内氏の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=大内
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=山口市鴻峰城跡
【背景】=百済の聖明王の王子琳聖太子を先祖とする大内氏。周防の国で覇をきそったのは源平の合戦で新興武士団の潮流に乗ったからだが、三十一代目当主、義長が鴻峰城を築城途上で滅びたときに埋蔵金伝説が残されている。毛利軍に追い落とされた義長は軍資金を埋めたという。

蓮花寺の埋蔵金
【埋蔵額】=軍資金
【埋蔵者】=大内氏
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=山口市大宮町
【背景】=大宮町竜花の瑞陽寺はかつて蓮花寺と呼ばれ大内氏の氏寺だったという。大内氏が陶氏に攻められたときこの寺に軍資金を隠したとの言い伝えだ。埋蔵された金の鶏の声を聞いたものは死ぬとか。

ナイル号の埋蔵金
【埋蔵額】=ダイヤの王冠ほか
【埋蔵者】=英国皇室
【埋蔵時期】=大正時代
【埋蔵地】=熊毛郡上関町近海
【背景】=大正天皇の即位のお祝いにと、英国皇室からの王冠や首飾りを積んだ英国船ナイル号が瀬戸内海の祝島の近くで岩礁に乗り上げ沈没。時価にして一億七千万円相当のダイヤの王冠がまだ引上げられてない。

朝日長者の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金千両
【埋蔵者】=朝日長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=岩国市楠町
【背景】=楠町中津村の薬師堂には黄金千両、朱砂、漆各千盃を埋めたとの言い伝えが残る。埋めた主は朝日長者で「朝日さす夕日かがやく其の下に金千盃漆千盃」の歌も残っている。

海岸で発見された銅銭の甕
【埋蔵額】=中国半両銭十七枚五銖銭七十八枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=弥生時代中期後半
【埋蔵地】=宇部市沖宇部沖の山
【背景】=江戸時代の元文五年(1740年)、沖ノ山の海岸で銅銭の詰まった弥生時代中期後半の甕が発見された。中から前漢時代の中国の古銭。当時の領主福原元貞公に献上されたことから今日に家宝として伝わったという。

興隆寺の出土銭
【埋蔵額】=銅銭八万九千枚
【埋蔵者】=大内氏一族
【埋蔵時期】=十六世紀
【埋蔵地】=山口市大内堀
【背景】=1972年(昭和四十七年)、氷上山興隆寺の旧境内に豚の飼育場を造成中、地下一メートルの所から備前焼の大甕が出土。中には永楽通寶を初めとする銅銭推定八万九千両。

下右田遺跡の銅銭
【埋蔵額】=銅銭一万八千四百九十五枚枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=室町時代
【埋蔵地】=山口県防府市大字下右田br /> 【背景】=下右田遺跡の椰子基地跡に六十三種類の銅銭、合計一万三千四百九十五枚、総重量にして約六十kgが銭壺に入れられて埋蔵されていた。

中津居館跡から中世の古銭出土
【埋蔵額】=渡来銭約二万枚
【埋蔵者】=居館の豪族
【埋蔵時期】=十四世紀前半~十六世紀
【埋蔵地】=岩国市楠町
【背景】=岩国市の教育委員会が、地方豪族の居館跡の地下一メートルに埋められていた備前焼の甕を発見、中から渡来銭二万枚が出土したと発表。甕は直径六十センチ、十三~十四世紀の備前焼だった。
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☆香川県の埋蔵金

勝賀城の埋蔵金
【埋蔵額】=金の茶釜
【埋蔵者】=香西氏
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=高松市鬼無町
【背景】=中世に当地を支配した豪族香西氏の勝賀城に残る埋蔵金伝説。城内の井戸跡に金の茶釜を埋めたというもの。

長福寺の裏山から我が国初の木簡と銅銭九千枚を発掘
【埋蔵額】=中国銭約九千枚
【埋蔵者】=花厳房賢秀
【埋蔵時期】=文明12年
【埋蔵地】=さぬき市鴨部
【背景】=鴨部東山にある長福寺が本堂改築のため、裏山を造成中に高さ41cm、胴の直径31cmの灰白色の陶器の壺を掘り出す。中から現れたのは、表に「九貫文花厳坊賢秀房」裏に「文明十二年三月十九日敬白」の木簡と、渡来銭九千枚。

ぶよも長者の埋蔵金
【埋蔵額】=金
【埋蔵者】=ぶよも長者
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=小豆郡池田町
【背景】=茂右衛門の埋蔵金に隠れてしまっているが、小豆島の池田町大字中山に残る長者伝説。ぶよも長者と言われる長者が金銀財宝を四十九個の瓶に入れて埋めたという。ある時正直な農夫が一つを発見、祟りをおそれて埋め戻したが目がつぶれて亡くなってしまったという。

海崎城の埋蔵金
【埋蔵額】=黄金
【埋蔵者】=海崎氏
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=三豊郡詫間町
【背景】=海崎氏は後に長尾氏と改姓したが長宗我部氏に伐たれた時、元の居城だった海崎城に財宝を埋蔵したという。その場所は井戸という。
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☆徳島県の埋蔵金

ソロモン王の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=ソロモン王
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=三好郡東祖谷山
【背景】=ソロモン王といえば古代イスラエルを支配した巨万の富を誇った貿易王。そのソロモン王の埋蔵金がなんと日本にあるという説。聖書研究家の碩学高根正教授が渡日説を唱えて話題となった。ヨハネ黙示録の中に出てくる御座が剣山で四国が黙示録の説明に合致したとか。

剣山の埋蔵金
【埋蔵額】=軍資金
【埋蔵者】=平氏落人
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=三好郡東祖谷村
【背景】=同じ剣山伝説でも信憑性の高いのはこちらの平氏落人伝説。屋島の戦いで敗れた平氏が安徳天皇を奉じて阿波の秘境祖谷に隠れた。その兵士たちが後の世の再建資金として軍資金をこの地に埋めたという。

国高屋敷の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭二万六千三百三十八枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=阿南郡長生町
【背景】=昭和二十九年、長生町荒井字七見通で河川改修工事中に古銭六十一種、二万六千三百三十八枚を発見。

日和佐五万枚の古銭
【埋蔵額】=古銭五万枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=海部郡日和佐町
【背景】=昭和五十一年、杉林の馬道工事中に直径約二メートル、厚さ五十センチ、重さなんと一トンにもなる古銭を掘り起こした。寛永通宝などが一つの固まりになってしまっていたが約五万枚とか。

神山の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭一万五千枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=名西郡神山町
【背景】=昭和五年、自宅の敷地を掘っていた人が、海南同様の渡来銭、約一万五千枚を掘り出したことを、海南のニュースを知って公表。

蒲生田岬の埋蔵金
【埋蔵額】=小判三十枚、金の延べ板
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=那賀市椿泊
【背景】=天正十四年、椿泊の沖合でアワビ取りの漁師が岩場に挟まっていた小判一枚を拾ったことから次々と発見され、小判が総計三十枚以上、金の延べ板などが発見された。沈没した長曽我部氏か土佐藩のご用船か。
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☆愛媛県の埋蔵金

国分寺の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭二百枚ほか
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=今治市国分鳥越
【背景】=当地の農夫が開墾中に和同開珎二百枚や仏像、鏡などを掘り当てたという。その一部というものが国分寺に残っているという。

泊の埋蔵金
【埋蔵額】=一万五千両
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=越智郡吉海町
【背景】=吉海町大字泊の三兄弟が開墾中に壺を発見。中から粒金と古文書が。それは森内氏の一万五千両の財宝の在処を示していた。

泰の山の埋蔵金
【埋蔵額】=軍資金
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=温泉郡中島町
【背景】=中島町大浦と畑里の境にある泰の山城が小早川隆景に滅ぼされこの時に城方が財宝を城中に埋めたとの言い伝え。「朝日さす夕日の照らす榎木の下に金一貫五百匁」という書き付けも発見されている。

釜木の埋蔵金
【埋蔵額】=四十九の壺に入った小判
【埋蔵者】=海賊おのごろ
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=西宇和郡三崎町
【背景】=三崎町釜木に残る海賊の埋蔵金伝説。親分おのごろが捕まり処刑される直前に「釜木の奥のおのごろ的立畑の向ぐらい木を植えてくそたれた、むくのこらげにしりのごた、いらば掘って取らしゃれ」。

丹原町の渡来銭
【埋蔵額】=渡来銭一万枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】=江戸時代
【埋蔵地】=松山市丹原町
【背景】=丹原町徳能の旧家の納屋跡から千年以上も昔の古銭を含む渡来銭ばかり一万枚が発掘された。一七代続く旧家で、寛文十年の徳川幕府による「渡来銭の流通禁止令」により通貨としての価値を失ったため埋蔵したと思われる。
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☆高知県の埋蔵金

平家落人の埋蔵金
【埋蔵額】=軍資金
【埋蔵者】=平家落人
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=須崎市上分
【背景】=瀬戸内海各地に残る平家落人伝説だが、高知にもその平家の落人たちの伝説が残っている。床鍋に向かっていた平家落人が道を間違え上分銭神石の洞窟に軍資金を埋めたというもの。

加久見左衛門の埋蔵金
【埋蔵額】
【埋蔵者】=加久見左衛門
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=土佐清水市加久見
【背景】=関白一条教房の外縁である加久見氏。その加久見氏の城跡に相対する位置にある多倉山に埋蔵金伝説が残っている。

野根七郎の埋蔵金
【埋蔵額】=小判千両
【埋蔵者】=野根七郎
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=安芸郡東洋町
【背景】=地方の豪族、野根氏が残したという財宝。野根愛宕場の周辺あるいは天満寺。「朝日さし夕日輝く征木のもとに小判千両有明の月」。

弥六の埋蔵金
【埋蔵額】=財宝
【埋蔵者】=盗賊弥六
【埋蔵時期】=明治時代初期
【埋蔵地】=安芸郡東洋町
【背景】=幕末から明治にかけ話題になった盗賊、弥六が残した埋蔵金。東洋町の野根真砂瀬の牛ヶ石、馬ヶ石か東洋町甲浦か。「九里いて九里きて九里かえる、旭かがやく白い椿の咲く丘に」の言い伝え。

平田の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭八千枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=宿毛市平田町
【背景】=平田町戸内から開元通宝や永楽通宝など古銭三十種、八千枚が発見されている。

久万西山の埋蔵金
【埋蔵額】=古銭七万枚
【埋蔵者】
【埋蔵時期】
【埋蔵地】=高知市久万西山
【背景】=至大通宝など古銭五十五種、七万枚を発見。
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